哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

映画「聖の青春」

 

 いまGYAO!

「聖の青春」が2020年1月3日(金) 23:59まで無料配信中です。

 

GYAO!タイトル情報より。

生きること。

1994年、将棋のプロ棋士村山聖(さとし)七段は、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指し、15歳の頃から10年間弟子入りし同居していた森師匠の元を離れ、上京しようとしていた。聖は幼少期より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、家族や仲間は反対する。しかし、幼いころから何をおいても将棋にかけてきた聖を見ている森師匠は、背中を押す。東京―。髪や爪は伸び放題、足の踏み場もなく散らかった家、酒を飲むと先輩連中にも食ってかかる聖に皆は呆れるが、みな彼の将棋にかける思いを理解し、陰ながら支えた。その頃、同世代の棋士羽生善治前人未到のタイトル七冠を達成する。聖は強烈に羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。そして聖は、将棋の最高峰であるタイトル「名人」になるため、一層将棋に没頭し、並居る上位の先輩棋士たちを下して、快進撃を続ける。そんな中、聖の身体に癌が見つかる。だが、「このまま将棋を指し続けると死ぬ、手術し、療養すべし。」という医者の忠告を聞き入れず、聖は将棋を指し続けると決意する。彼の命の期限は刻一刻と迫ってきていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 大多数の人々が充実した人生になくてはならないと信じる、健康、恋愛、セックス、結婚、長寿、子孫等が、村山聖の生きざまを見れば、実際はあってもなくても大丈夫な条件に過ぎないと気づく。

もとより、気づきたくない者は気づけない。
邪な心は自分に仇敵のようにふるまうからだ。

 

 

 

 

 

 

 

ブッダの教えを、仏教伝道協会編『仏教聖典』から引用します。



    過去を追ってはならない、未来を待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを強く生きねばならない。

 

 

(過去記事増補編集再録)