哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

自他の性格を無理に変えようとしてタイムロスをするな


 アルボムッレ・スマナサーラ著「ブッダの教え1日1話」12/17より引用します)


 よい人間になろうと思っても、そう簡単にはなれません。
そのような考えはほうっておいて、
ひたすら、いまの自分に気づくことに努めるのです。


(以上。引用終。強調は私です)






 よい人間になろうといった思いはほうっておいて←ここを理解することが非常に重要だとおもう。
 
 
過去記事にこう書いた。
 

 おれは生まれついてのバカ者で、あらゆる誘惑に簡単に翻弄されてしまう。

おれはなにをやっても中途半端で止めてしまう。

意志の弱いヘタレ野郎で、すごく気が小さい。

なのに、欲深だ。

今まで犯罪は犯さずに済んできたが、それはほんとに運がよかっただけだ。

やることなすこと最低の卑劣漢で、誠実さも勇気もかけらもない臆病者だ。


だが、おれはそんな自分を放っておく。他人のように。

実際問題、放っておくしかないからだ。



 
 人生にはタイムリミットがあり、当然やるべきこと、できることに優先順位がある。
 


 誰しも向上心があり、よい人間になろうとして自分の性格を直接改良したいと欲するものだが、そんなナイーブなアプローチでは一生かけても成功しない。
あえて放っておくほうがいいのだ。まして自分以外の人間のことはいうまでもない。
 
優先順位を間違うと、さあいよいよ死ぬというその時に「しまった!どうしてもっと前に気づかなかったのか…」と唇を噛むことになる。
 
 

だからおれはこう言う。

 自分の性格が良かろうと悪かろうと気にするな。
 
自他の性格を無理に変えようとしてタイムロスをするな。











 そういうわけで、やるべき最優先事項はただひとつ。

ひたすら、

いまの自分に気づく

ことに努める

だ。




いまの自分に気づく

とは

気づきの実践(ヴィパッサナー冥想)


のことだ。







(過去記事統合増補編集再録)