哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

世間は、人生が無常であり苦であるという事実の反対を向いてる

ブッダの真理のことば ダンマパダ328 中村 元訳)より引用

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。

(同329)
しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。

(同330)
愚かな者を道伴れとするな。
独りで行くほうがよい。
孤独ひとりで歩め。
悪いことをするな。
求めるところは少なくあれ。
──林の中にいる象のように。

(以上、引用終)








おれが、愚かな者だ。
しかし、だから孤独ひとりで歩むより、多くの愚かな者達と道伴れになったほうがましだとは思わない。多くの者が、まさにそう考え、そうしているのだが。

そんな生き方が楽しいとも、うらやましいとも思わない。
むしろ、目をそむけたくなる。

おれは、つらくても、さみしくても、独りで行くほうがよいと思う。

(ダンマパダ328は、理想的で幸福な人生だが、残念ながら実現しそうにない)


おれの場合は、孤独ひとりで歩む、独りで行くとは、森で仙人暮らしすることじゃなく、内心の決意のことだ。

「小人は同じて和せず」だが、その中にあって「和して同せず」の生き方をする覚悟だ。

これは尊い君子の道で、愚か者のおれにはどだい無理な話だが、それでもやるしかないところまで追い込まれた。

人生が無常であり苦であるという事実に多少でも気づくと、世間は事実の反対を向いてるから、どんなに嫌でも心細くても世間から独り立ちするしかなくなる。

それが良くても悪くても無理でも、この生き方よりできないんだから、選択の余地はない。

したがって悩む余地もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

 

 

 デジャ・メイク・ハー!!おれ、この曲が異常に好きだった。何回続けて聴いても飽きなかった。

 

 

 

(過去記事増補再録)