哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「すでに救われてる。このままで初めから悟っている」が大衆の妄想になる現代

直前記事で、人間の修行嫌いが高じると決まって現れる
奥義めかしたステレオタイプ妄想
 
そのままですでに救われている。

もともと初めから悟っている。

 
について書きました。
 
例として

大乗仏教の「本来本法性天然自性身」
ヒンズー教の「梵我一如」
キリスト教の「あなたはありのままで神様に愛され救われています。あなたはこれを信じるだけで良いんですよ」


を提示した。

 話の流れとして、四大宗教の一角であるイスラム教の例も提示したかったが、詳しくないので
イスラム教も「探せば間違いなく同趣の奥義めかした瑕疵が見いだせるはずです、人類普遍の癖ですから」としか言えなかった。


後日、
藤田一照師と対談!を興味深く聴かせてもらってたら、ニー仏こと魚川祐司さんがイスラム大詩人ルーミーの一節を紹介されていた(1時5分過ぎ)
それが

神の部屋に入りたくて、ドアを必死で叩き
「開けて!開けて!」と泣き叫んでいたが、
ふと気づくと自分は初めから部屋の中に居た。

みたいな意味の詩なのだと。

 これが正に「本来本法性天然自性身」「梵我一如」「あなたはありのままで神様に愛され救われています。あなたはこれを信じるだけで良いんですよ」と同じバカ話のイスラム版だ。





 おれはルーミー等が一概に嘘を言ってるとは思わない。
ブッダはそういうネタバレ話を推奨しなかった。お前も我慢すべきだろと言いたいだけだ。大衆レベルの妄想に劣化してる現代ではなおさらだ。

藤田一照師と対談!永遠の行ったり来たり問題を扱っていて、たいへん面白いので是非聞いてみてください。
 
(過去記事再録)