一切皆苦
しかし、世間は自分にとって嫌な事実を直視できず、苦から苦への変化を楽と錯覚して、むなしい慰めとしている。
事実誤認している者に、正しい処方箋は死ぬまで思いつけない。
目の前にあっても見えない。
このような現状に説くべき教えは、苦等の四諦の法である。
苦聖諦は、事実を事実として、正しく気づかせる法である。
ここから始めねばならない。
これ抜きで、一生瞑想にふけっても、ただの暇つぶしだ。
「空なるがゆえに、苦も無く、集も無く、滅も無く…」
は、世間においては、永久に理解不能の呪文に過ぎない。
呪文を唱えて、何事かなしたとするのは、釈尊の教えではない。
(過去記事増補編集再録)