哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「オープン・ユア・アイズ」の真の意味とは

 
 1997年のスペイン映画「オープン・ユア・アイズ」はトム・クルーズが2001年「バニラ・スカイ」としてリメイクした。

 

 
 
 
 
 
 
 
 オープン・ユア・アイズ(目覚めよ)の真の意味とは?
目覚まし時計の声でないくらいは誰でもわかる。
そんな説明に映画を作ったりはしない。

 

 

現実とは「悪い夢」だと気づいた者が「良い夢」を作り出す。
善い夢を見ているのは、悪い夢を見ているよりはましだといえる。

しかし、その両方とも夢に過ぎないと気づいた者は、すべての夢から覚めることを願う。
人生で一番の大事は、善い夢を見ることではなく、
夢から覚めることだ。


ここまでは良い。

せっかくここまで間違わずに正しい道を進んできたのに、大多数の者は次の一歩で大きく踏み外し、あっという間に奈落の底にもろとも転落していく。

 

「目覚める」とは、結局

苦しい現実を喜んで生きようと自分で決心しなおすことだ

という、アホみたいな結論になる。
賢愚の別なくみんな口をそろえてそういう結論になる。
映画もそういう結論になっている。

 

                  なんじゃそらそら!

 

 夢から覚めることが、単にまた最悪の現実に戻って全力でのめり込むことなんかであるはずないだろう。

ちょっと冷静に考えたらわかりそうなもんだろうに。

頭で考えるだけでブッダ直説の修行ができない輩の、あつかましい自己正当化に過ぎない。



「目覚める」とはそんなことではない。


ブッダの教えをよくよく聞けば、
「目覚める」の真の意味がきっとわかる。

 

ブッダの感興のことば26・17 より引用します)

 

        見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、苦しみが終滅すると説かれる。

(引用終)

 

 「目覚める」とは、

        見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知

ることだ。

 

 

 

 

 

自然状態の人間は、生まれてから、さあいよいよ死ぬというその瞬間まで、色・受・想・行・識に執着するのが性だから、このブッダの教えを聞いてすぐわかる者はブッダ在世中でも少なかった。

 

しかし、今でも自己省察に至るまでよくよく考えれば、やがて必ずわかることとおもう。

 

 脳で考える限り、言葉で考えており、

言葉の考えは必ず「俺、俺のもの」に害され支配される。

 

これが

身に刺さった矢である

と気づいたなら、ブッダのヴィパッサナー実践法の意味と価値に気づく。


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(過去記事統合増補編集再録)