哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

向田邦子名作TBSドラマ「風立ちぬ」町田康も

 

 このドラマ、演者が名優ぞろい。

田中裕子、宮沢りえ田畑智子加藤治子小林薫、町田 康、米倉斉加年等々。

 

 

 ストーリーを最小字数で書く。

舞台は軍靴の音迫る大戦前の東京。

三人姉妹の長女の入婿と次女がキスする仲になる。姉妹の母親が密かに入婿を追い出す。 そのことから連鎖発生するドタバタ悲劇。まわりまわって死人も出る。

 

 

  おれは、当時この向田邦子原作ドラマ「風立ちぬ」を観終わって、後々まで心に残ったのは

 

貪瞋痴が引き寄せる、

予測不可能な恐ろしさ

 

だった。

(こうして言葉で表現できるようになったのは、だいぶ後のことだが)

 

一番割食ったのは、割腹自殺に追い込まれた一途な海軍中尉だと、当時おもった。

これを演じてたのが、パンク侍町田康だったと、今回初めて知って、その意外さに驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

(津軽三味線&ギター) ファイナル 審査員 観客総立ち!!オーストラリアズ・ゴット・タレントGeorge & Noriko Australia's Got Talent Final-AGT

 

山田太一脚本NHKドラマ「シルバーシート(シリーズ男たちの旅路)」

 当時リアルタイムで観た「男たちの旅路」シリーズ、面白かった。

なかでもこの「シルバーシート」は強く印象に残ってる。

 

老人ホームの年寄りたちが突然、都電車両をジャックし、要求を訊かれても言わずに、ひたすら籠城し続ける話。

 

 

 今の若者が見れば

「いい気なもんだな。右肩上がりの日本で生きてた年寄り達のぜいたくな悩みだろ。

不景気続きの日本で生きる俺たちは、それどころじゃないんだよ」

と思うかもしれない。

しかし、景気にかかわらず、今若いあなたも年を取れば、形は変われど、必ず直面する本質的問題だ。

 

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(My Favorite Songs)

セックス・ボム

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ドドンパ

 ドドンパといっても富士急ハイランドのローラーコースターじゃなくて、音楽のリズムのほうです。
古い話で恐縮ですが、この昔流行ったリズムはリバイバルする気がする。

 

 渡辺マリ。
「東京ドドンパ娘」

この人の声質、歌い方、好きだった。

 

北原謙二
「若いふたり」
これもドドンパ。

「君には君の夢があり 僕には僕の夢がある」…この、
そのうちなんとかなるだろう的スットボケ歌詞
もドドンパのリズムとよく合っていて好きだった。
 

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 (My Favorite Songs)

レディ マーマレード

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(過去記事統合増補編集再録)

 

「自分」と「死」の絶対矛盾をめぐる会話

ある日の会話。

「どんなふうに自分の人生をコーディネートしようと考えてみえるんですか、これから」

「まあ、どう転んでも死ぬしとおもって。
あんまりじたばたしてもしょうがないなって感じですけどね…なんかもう…破れかぶれみたいな感じです。
これはどう考えても負け戦だなって…ま、これはぼくだけじゃないけど。
みんな、
なんかすごく死ぬまでの生活設計立ててるけど…まあ…無駄だなあとおもって…そんな感じですねえ。どうしても負けるよって感じですねえ」

「負けっていうのは?」

「ま、死にますからねえ」

「死ぬってことが負けですか?」

「そうですねえ。まあ、みんないろんなこと言ってますけど、ぼくから見るとおかしなこと言ってるなあとおもうんですけどねえ」

「一番おかしなことって、ちょっと聞かせてもらっていいですか」

「死ぬのも悪くないみたいなこと言ってると、悪いに決まってるわけで。無理なこと言ってるなあと」

「死ぬってことは負けるってことなんですね」

「まあ、勝ち負けで言えば勝ちじゃないですねえ、絶対。
死にたいんなら別ですけど。死にたいっていうのは、どうもおかしな人ですからねえ」

「死ぬということは100%ですもんね、死亡率は。で、そこへ行くまでの自分の人生はどうしていこうと考えてみえるんですか」

「なるべくその…みっともなくないようにやるのがもちろんいいですけど…まあそんなのはちっちゃい差ですねえ」

「みっともないっていうのはどういうイメージですか」

「まあ人に迷惑かけるとか、そういうことですねえ。
死んだ後に、あの人は最期までちゃんと立派に…破れかぶれにならず背筋伸ばして生きたなあってなことを言われる…でも死んでますからね、その時。何言われたって一緒ですわ」

「と、理想の死に方ってどんな感じですか」

「理想の死に方なんてないですよ。
最悪ですよね、どう考えたって」

「うん、でもみんなそれが運命というか、受けいれていかなきゃいけないものじゃないですか」

「そうですね。あの、受け入れても受け入れなくても、受け入れざるを得ないですねえ。
一緒ですよ、どっちにしたって」

「やって来ますよねえ。どんな感じの亡くなり方が理想ですか、そういう意味では。もうもう絶対受け入れなきゃいけないわけですから」

「そうです。だからほっときゃいいって感じですね。
もうどうにもならないんだから」

「たとえば、ある日突然息が切れるっていう感じとか…」

「そりゃあ、あれですよ、死ぬにしてもどっちがマシかっていえば、もう散々苦しんだあげくに、100%死ぬわけですから、死ぬのはしょうがないとして、もう苦しいとか痛いとか、そんなことだけは止めてくれっていう感じはありますよね、そりゃあ。
踏んだり蹴ったりは勘弁してくれっていう」


[関連記事]
我と死は両立しない



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

コメディ映画「スクール・オブ・ロック

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(過去記事統合増補編集再録)

「1日2食、あとは何でもいい」では、当然トラブル

 体調がよろしくない。
 
 
テレビで医者が言っている。
1日3食がベスト。
1日1食は血糖値急上昇を伴いインスリン障害、糖尿病の道を進むことになる、
1日2食も良くないと。

 

 
 一人の例外もなく老病死する人生の事実全体を、医者は直視していない。

 

 
 
 昔の仏法修行者達は、揚げ物炒め物などめったに口にしていなかったとおもう。
そして、毎日充分身体を動かし清規しんぎに則り生活した。
 
 
このベースがあって実行された1日2食乃至1食だったから、健康で見事な人生を溌剌と過ごすことができた。
 
 
 
 
 おれの場合、1日のうち1食がガストやジョイフル等の激安日替りランチで、必然的に脂っこい揚げ物炒め物ばかりになっている。
 
 
 
1日2食にしても1日1食にしても、単純にそれさえ守れば後は何でもいいでは、トラブルが生じるのは当然だ。
食事の回数だけまねてもだめで、修行僧の生活をトータルで見習って初めて期待通りの効果も得る。
 
そうでない場合は、上記の医者の言うようなマイナスの結果を招く。

 

 

おれは 高カロリー外食を止め、揚げ物抜きのあっさり自炊の1日2食乃至1食で、連日の夜更かしも改め規則正しい生活をすれば、諸トラブルは解消されるはずだ。

 

 
 
 
 実行しようとおもうが、現実問題、毎日続けられるか…何日続くか……まあ、やれるだけ。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
 
 
(過去記事統合増補編集再録)

夢窓国師『夢中問答』修行は頭の中の諸疑問を整理してから始める

 仏教は坐禅しないとダメなのか。
坐禅すると決めても臨済宗曹洞宗で言ってることがだいぶ違う。どっちが正しいのか。
さらに、不立文字と言ってる一派の中からも、結局文学作品が、昔も今も山ほど作り続けられているのはどういうことか…等々。

これらの疑問に何の答えもないままで修行を始めても、いたずらに迷走するだけだ。

 おれは昔、夢窓国師の『夢中問答』(岩波文庫)を読んで、頭の中のごちゃごちゃを整理し、上記の諸疑問に一応の決着をつけた。今でも『夢中問答』は得難い仏教教科書だ。
 
 
[参照]
 
 

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(My Favorite Songs)

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(過去記事統合増補編集再録)

凡夫の不可思議

 今年70歳になった。

自分を顧みておもう、

おれのような平々凡々たる人間は非常に大勢いる。

おれたちは、さあいよいよ死ぬというその瞬間ときが来るまで

 

まだまだ間があるサ

 

という謎のふてぶてしさを持ち続け、欲から離れた本気には一度もなれずに、欲の真っただ中で、ふっと意識が消えて、はいおしまいという頓馬を繰り返してると。

 

 

 

ブッダ 神々との対話3篇3章5節・山の譬喩 中村 元訳)

より引用させていただきます。


釈尊はパセーナディ大王に説かれた)
虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。王族、バラモン、庶民、隷民、チャンダーラ、下水掃除人であろうと、いかなるものをも免除しない。すべてのものを圧しつぶす。
そこには、象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。
策略による戦いによっても、財力によっても、勝つことはできない。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。

(引用終)





虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。

 

 「自分」は死を超えられない。

 

だから、やるorやらないの選択の余地は、実に初めからなかったのだ。

さあいよいよ死ぬというその瞬間ときに、初めて気づいても、すでに体力も気力もすっかり失せていて指一本動かすことさえできず、何もかも手遅れで、ただ愚かに死んでいく。
それが大多数の人間のありのままの事実だ。

それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。

 

 

 まだ体力気力が残っているうちに、これに気づきホントの本気になるかならないかに、人生のすべてがかかっている。

 

しかし、どこまでもホントの本気にだけは、けっしてなろうとしない、凡夫の不可思議

 

 

 

 

  

 

 

 

  

(My Favorite Songs)

「誰が欲の犬を放した? 」バハメン

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[同日追記]

スマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想法話

「執着の発見ーー自宅で瞑想する心構えと観察のコツ」

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(過去記事統合増補編集再録)